「通達」を決定した教育委員会の様子

*12月17日(日)の教育委員会定例会の様子をメモなどをもとに、おおまかに議論の経緯をまとめたものです。一字一句正確なものではありませんので、御了承下さい。正確な全言記録はいずれ市役所情報公開コーナーで閲覧できます。(もっとも、市教委の全言記録を待っていたら半年くらいかかりそうですが・・・・・・。)

重野教育委員:議案第64号 卒業式、入学式における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導について

持田学校指導課長:市立小中学校の教育課程は、公教育として、法令、学習指導要領等に基づいて編成、実施するものです。御存じのように、平成11年度卒業式、平成12年度入学式における国旗国歌の指導、取扱いにつきましては、それらの基づいた適正実施がなされていない現状があります。平成8年度以降、毎年、教育委員会といたしましては、通知文等により、卒業式、入学式が学習指導要領に基づき適正に実施されるように、各学校に指導してまいりましたが、様々な経緯によって、実施されていない現実があります。保護者、市民からもそのことについてさまざまなご意見、ご要望が届いています。新しい時代を担う子どもたちが、卒業式において、厳粛で清新な気分を味わい、暖かな人間関係に育まれ、社会性豊かに、健やかに成長することが、市民にとって共通の願いです。
 しかし、いじめ、不登校、学級崩壊、反社会的行為の低年齢化などの学校教育の課題が山積しています。また、国際化社会、情報化、少子高齢化等、社会の変化に応じた、生きる力を培う学校教育をめざしたい。子どもたちの学ぶ力、子ども達ひとりひとりの能力を最大限に発揮できるよう、教育改革を進めることが課題となっています。
 従いまして、公教育の精神にのっとり、学習指導要領に基づいた公正公平中立な教育課程を実施するために、平成12年度卒業式、平成13年度入学式につきましては、国立市教育委員会の通達をもって、実施する必要があります。なお、通知と通達の違いでございますが、通達とは、上級行政機関が、下級行政機関に対して、または、上司が 職員? に対して、法令の解釈、運用や職務の処理などについて命ずる文書であります。職員に対しては、拘束力を持つ文書です。

伊東教育委員:シンプルな通達を出してほしい。結構だと思う。その理由は、校長会が通達を要望している。他の教育活動に国旗国歌運動がかげをおとしている。学習指導要領に明記されている。国を単位として動くのが国際社会の在り方。国立の教育の現状を打破したい。先生が学校を私物化している。学校は学ぶところという原点に立ち返ってほしい。子どもを救ってほしい。通達は苦渋の選択。

福永教育委員:校長の要望があった。国際化とは、世界の人が共に生きる方向をめざし、それぞれの民族を尊重すること。旗の使い方を示すのが公教育。平和のシンボルと言えるようにしていく。戦争の記憶から解放されない人に対しても、平和のシンボルとなるように努力したい。

安藤教育委員:グローバル社会の共生のために、という課題は大切。しかし、共生というなら、力によって問題は解決しない。平和を考えるなら、力のあるものが、力のないものに押し付けていいのか。力による解決は、平和をうまない。
 通達は、今後の教育改革に否定的な影響を及ぼす。対話に基づく信頼関係を取り崩す。教師と校長の対話、市教委と校長の対話。そうしたものを崩してしまうのではと憂慮する。適正に実施されていないということですが、2小で卒業式後にやりとりがあり、5小で何らかの行為があり、2中でトラブルがあった。通達は何か問題があって出すもの。何か問題があったとは、報告の中で聞いていない。式自体に大きな課題が残ったとは思えない。

持田:平成8年から市教委は通知している。何もトラブルがなかったといわれたが、計画段階に対して新聞報道があった。長期的には、完全実施されていないという問題があった。
重野:卒業式そのものは問題なかった。しかし、国旗・国歌が完全実施されていなかった。

安藤:指導要領には、「国旗国歌への尊重する態度をやしなう」とある。完全実施は解釈が越えるものではないか?

持田:指導要領には、国旗掲揚し、国歌斉唱するものとする、とある。

安藤:卒業式、入学式は何のためにやっているのか? どう評価するのか? 国旗国歌をやらないからといって、イデオロギーの注入がされているかのように言っている。それは議論が足りない。国旗国歌にいきなりなっている。国立ではこれまで子どもが主体の式がされてきた。厳粛な式を望む市民もいるとは知っている。しかし、別の形を教員と市民がつくっている。その一点において問題とするのは、評価として一面的。教育的な意味の評価としては、おかしい。

石井:卒業式は大きな節目。教育的評価に耐えうるものでなければならない。節目にふさわしい行事をする。

重野:式とは、卒業証書授与式と儀式を祝う式という2つの面がある。まず、儀式的なものがあり、その後で、個人が喜ぶ。

石井:国の存在は自明なこと。国があってこそのインターナショナル。国旗が戦争のシンボルであったことを子どもにきちんと教えるべき。教えながら、日本人の誇りを教える。戦争の旗であったから教えないというのは、大人の判断。
 安藤委員の言われた「上から下への命令」についてですが、学校現場を見せてもらっても、校長と教職員の間で、穏やかな対話ができる信頼関係ができていない。教育での話し合いの前に、国旗国歌でエネルギーを使っている。それを解消したい。
 「教育改革へ水をさす」ことにについては、国立の教育は、保護者、市民、学校が話し合って決めていく。これから創っていくもの。国立の教育はすばらしかったと聞いてきた。市民が共通認識を持ち、理解する必要がある。そのために、教室開いて、みんなで見に行く。学校を地域に開くことが、国立の改革。それと、通達は相容れないものではない。通達出すことは、何ら足を引っ張らない。通達は本来出すものではない。出さないのが望ましい。今回は苦渋の選択。
 学習指導要領は大綱的なもの。生かすも殺すも現場の先生、子ども、保護者次第。通達通知がなくてもいい学校現場を実現したい。1年の経験のまとめとして、通知を通達とする。この選択以外にない。

重野:校長会からこのような要望があったのは異例のこと。他の地域は通達がなくても実施されている。国立市は長い経過の中、自然な形で実施されなかったのは不幸。実施しようとすると学校で混乱がある。子どもにとって何よりも不幸。主義主張を押し付けるのではなく、子どもに学ぶ機会を与えることが大切。子どもは正しく教えられた上で、自分で判断すればよい。子どもは学習すべき当然の権利を奪われている。様々な場で、国旗という言葉一つで対立点となる。イデオロギー、戦争に結び付けて悪である、というのは偏っている。自分の国をよく知り、愛する。そして、他人のことを認める広い心を育成する必要がある。毎年、いつも議論が職員会議で行なわれるが平行線。管理職と教員の対立。ここにエネルギーを費やしている。先生方もそれがいいとは本心では思っていない。通達はやむをえない。今年の混乱の二の舞いは避けたい。教育の課題は山ほどある。

安藤:全面実施、完全実施が気になる。この言葉は100%を意味する。それをやっていくと正解は一つしかない。みんながそのことだけやる。そして形式化していく。それで国旗は揚がるかもしれないが、議論はおきざり。やるということだけになる。ナショナルなアイデンティティの論点が外に追いやられる。形だけになる。それを心配している。そもそも不毛な対立をつくる構図に問題がある。不毛な議論は、そこからうまれる。校長は自分の意見を言えない。校長は至上命令を出し、教員がある一つの形で画一的になることをおそれる。国旗国歌は教育の多様性、画一性に触れる問題。国旗国歌は国民を二分する。力によって決めることではない。各学校の問題であり、管理職、教員、父母の話し合いが大切。揚げたか揚げないかを教育委員会が評価しないでほしい。完全実施を求める行政が、不毛な対立を生み出す。それは、教育改革に否定的な影響をもたらす。まだ、式のことを話していない学校もある。この段階での通達は拙速すぎる。
 例えば、新学習指導要領に対して、議論はいろいろある。円周率、総合学習、どれをとっても議論が別れる。それなのに、ある一定の方向で完全実施は、教育改革元年をねじ曲げてしまう。だから、納得できない。

石井:言われることは、理屈としてわかる。現場は理念をぶつけてほしい。何か言えば、対立してしまう。本論に入れない。専門家に画一化を押し付けることは問題。教育改革はエンドレス。子ども、人間、社会は成長している。社会の中での教育。常にその時点で最善と思われるものを選択する。通達を出してダメになるような改革であってはならない。意見の異なるものを排除しては話し合えない。職員会議録には、子どもをどう育てるかがない。対立点は、留保しつつ、一致点探す必要。国立の子どもが十年後に答えを出してくれる。

安藤:人間はイデオロギーの固まりではない。そういう先生方をイデオロギーの固まりととらえてしまうことはいけない。先生方とどうやってお互いにフォローしながらやるか。今の構造は、管理職と行政が先生を追い込んでいる。追い込んでは、改革は進まない。

福永:各学校訪問で、こういう意見が出れば違った。学校訪問は唯一の機会なのに、先生がなかなか教室のトビラを開けてくれない。今はいよいよスタート。通達を力とみるか、責任とみるか。節目を大切にする日本の伝統。

伊東:安藤委員の意見ももっとも。三春町、浜の郷も指導要領完全実施している。完全実施が形式化、画一化になるとは思わない。通達は、力を持って屈服。本心はしたくないが、しなくてはならない現状がある。完全実施校は99.7%。それらの学校を否定するのか?

石井:通達を校長、教員を追い込むというのは違うと思う。これで、スタートラインにたったと思う。まず、何より子どもを中心に教育内容を話し合う関係が必要。校長が教育的リーダーシップを発揮するために通達が必要。

安藤:通達が一度出ると、処分につながる。出したとたんに、一人歩きする。違反すれば、処分。通達は権力作用を持っている。ナイフみたいなもの。処分をちらつかせながら、ある一定の方向に持っていく。石井教育長は、校長、教員を追い込まないと言われたが、納得できない。校長はやらざると得ないし、先生は追い込まれる。どう保障するのか?

石井:今、安藤さんが言われたのは、今の学校現場が健全に運営されているという前提があって成り立つ。あるレベルにあげて、対話が必要。校長が通達の要望書を出すのは、異例のこと。保障しろというのは、いささか冷静さを欠く。それを言うなら安藤さんも学校を回って現場を見てほしい。安藤さんのは、理論のための理論。反対を通すための弁ぽう(?)でしかない。 安藤:現場をみていないことは認める。ある現状をもって、正常とか、そうでないとかはいえない。どうやって、問題を解決していくかのシステムづくりが重要。2002年、地方行政一括法が改正される。地方の権限強まる。一致させる仕組みをいかに創っていくかが大切。通達で吹き飛ばされるのものは、大きすぎる。 福永:通達の代案は?

安藤:今はないが、現場の中で何も動いていない中、今日の時点で通達は問題。審議する必要がある。私たち5人は先生と話すべき。その会を設けるべき。12月では、行政行為として速すぎる。まだ、去年の事柄がどうであったか見えてこない。2小の最終報告書でていない。わたしは中間報告書に賛成していない。最終報告に自分の意見、保護者の意見がまだ盛り込まれていない。東京都の報告への市の回答もまだ。市教委は先生のアンケートを集約していくと言っている。今、何が、どう問題になっているのか? それの結論を出す前に、通達を出すのは行政としていかがなものか。

石井:2小の最終報告、年内にと思ったが遅れている。都への回答は年内に出す。回答の叩き台はつくっている。今日、この後、懇談会で示す。

重野:議決します。

安藤:この通達、職員と校長を追い込むものではないのか?

石井:追い込んではいけないと思う。

安藤:今、教育改革している。こんな重大なこと、議論を尽くす必要がある。このやり方では、瑕疵を残す。

重野:もう一度、議決します。

持田:では、12月18日付けにて、通達となります。

安藤:こういうやり方は、避けていただきたい。中間報告の時もそうだったが、多数決では、教育委員として責任を果たせない。


要望書について

国立市立小中学校教育の正常化についての要望書

伊東:通知表に校長の印の欄がないのはいつからか? 

持田:国立の全小学校で、校長印の欄がない。5小は、校長の氏名もない。

重野:通信簿に校長の印がないのは正常ではない。足元からきちっと正していかなければならない大事な問題。正すべきところは正す。 

安藤:一つ一つがそうなっていくことが、先の通達と同じでわたしが危惧すること。国立の教育がすぐ問題にされる。何故そうなったかを確認する必要がある。いろいろな人の考えでつくられてきたものがある。通知表の印は、校長のリーダーシップで無くしてきたもの。

重野:この件に関しては次回に。学校から出るものには、校長の印や名前は必要。校長中心で、全教職員が同じ考えでやっていく必要がある。いろんな考え方があるといってすましていい問題ではない。

安藤:今のも含めて、議論の仕方がまずい。教育の改革が地に足のついたものになっているのか? 一つ一つの議論を慎重にしなくてはならない。是非、深い議論をしたい。

安藤:「あらためて『国立2小卒業式実施報告書』の撤回を求める要望」について。「12月議会の市教委の答弁で、・・・『卒業式実施報告書』について、『体罰などの事故報告書ではないので、両論併記の対象には相当しない』とも述べています。」という記載がありますが、わたしの意見を最終報告に盛り込むはずだが、盛り込んでくれるのか?

石井:安藤さんの意見は、基本的に議論していく。

重野:教育の画一化がよくないのはそうだが、明治時代、画一化が効果を挙げた時もある。教育には保守的なところがある。

 


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