(要望書等 その3)
「西暦」2001年1月16日

国立市教育委員会
  教育長    石井昌浩 様
  教育委員長  重野和夫 様

国立市の教育委員会の<正常化>を願う市民の会

要望書

―先入観を持たず事実に基づいた丁寧な議論をしてくださいー

 新年明けましておめでとうございます。先日、19日に2001年第1回教育委員会定例会が行なわれました。21世紀最初の教育委員会であったわけですが、私たちにとっては非常に残念な教育委員会となってしまいました。

 石井教育長は私たちの要望書に内容で答えることなく、「イデオロギッシュで特定の政治的意図を持ったアイロニカルで不誠実な要望書」などのレッテル貼りをするという対応を示しました。私たちの思いをなんら汲み取っていただけなかったことは非常に悲しい思いがします。市教委の対応に疑問を唱える声が、教育委員会の場で時間を割いて取り上げられたのはほぼ初めてではないかと思いますが、それがこのような形とは残念です。私たちの真意を理解していただきたく、あらためて要望書を出させていただきます。

 

 市教委は、保護者・教職員・市民の再三の要望・抗議等を無視して、8月に教職員の処分を行ないました。この処分は、手続き的にも内容的にも非常に不当なものだと私たちは思っています。その後も、市教委は同様の姿勢を続け、情報漏えい疑惑など、この過程での市教委の責任・問題点は、依然として隠蔽されたままとなっています。私たちは、市教委が保護者・教職員に用いたのと同様の手法と基準でもって、市教委の服務上の不適切な行為について検討するとどうなるかということを要望・陳情の形で示してみたまでのことです。

 市教委職員・教育委員のみなさんが、日々、国立市の教育のために、ご尽力なさっていることは私たちも重々理解しておりますが、それでもやはり人権に関わることについては、決して問題を曖昧にすることはできないと考えています。市教委をただただ攻撃したり、職員の管理強化をしようという意図ではありませんのでその点ご理解下さい。

 

■「不誠実」「不真面目」との発言を撤回してください。

 私たちの要望書に対して、多くの委員から、「不誠実」「不真面目」「アイロニカル」というような指摘がありました。私たちは一つの表現形態としてあのような要望書を書いたのであり、その内容は非常に「真面目」なものであり、「不誠実」「不真面目」とされたことは誠に遺憾です。

 今年度はじめから、多くの保護者・市民・議員などが、「2小卒業式実施報告書」などにより侵害された子どもたちの人権を回復し、二度と同様のことが起こらないことを願い、教育委員会への要望などを続けてきました。

しかしながら、これらの教育委員会への要望や疑問の声に対して、教育委員会が今まで「誠実」に向き合ったことがあったでしょうか。とりわけ、「中間報告」で保護者の要望書の一部を歪曲して恣意的に利用したことなどは、「誠実」さのかけらもない犯罪的ともいえる行為だと私たちは思っています。教育委員会の議論でも、都合の悪い事実には耳を閉ざしてほとんど触れることなく、毎回、先送りでごまかしてきたのではないかと思います。

それでも、教育委員のみなさん、事務局職員のみなさんを信じているからこそ、私たちは先月22日の教育委員会に陳情も出したわけです。しかしながら、私たちの会の陳情を不採択にしただけでなく、2小卒業生保護者からの陳情に対しては、議論せず理由さえ表明することなしに不採択にしたことは、「不誠実」な態度とはいえないでしょうか。

お互いに「誠実」「不誠実」と言い合うようなことはあまりしたくはありませんし、前回の教育委員会での「不誠実」「不真面目」などの発言を撤回していただきたいと思います。

 

■「イデオロギッシュで特定の政治的意図を持った人たち」の発言を撤回してください。

教育長は私たちの会に対して、「イデオロギッシュで特定の政治的意図を持った一部の人たちであり、他の要望書を出している誠実な人たちとは違うのは明らか」との旨、発言されました。そもそも、イデオロギーや政治的立場と無縁でいられる人はいないと思いますし、教育長ご自身も例外ではないと想います。

振り返ってみれば、市外からやってきて「国旗・国歌完全実施」を求めるビラ配りなどをした人たちが、駅頭で「国旗・国歌反対派は極左暴力集団」というキャンペーンを行なったのが1年ほど前のことです。それから1年たって、教育長自らが、予断と偏見でもってこのような発言を行ない、明確に市民を選別する姿勢を教育委員会の場で表明した非常に危険な行為です。教育長の行為は、レッテル貼りによって教育委員会への批判の声を議論の場から排除し、意見を封殺する行為でもあり、教育長としての資質さえ問われかねない発言であると思います。直ちに「イデオロギッシュで特定の政治的意図を持った人たち」などの発言を撤回してください。

 なお、石井教育長は、私たちの要望書で書いた「教育長の罷免を要求している人達とは会わない」という発言を、教育長室でのできごとについてのことだと御理解なさったようですが、私たちは教育長室でのできごとには関知しておらず、要望書に書いたのはそのときのことではありません。定例会終了後まもない時間に教育長がこのような発言をなさったのを私たちは聞いています。また、この発言だけをとらえて問題だと言っているのではありません。以前から、明らかに相手を選別して会う人と会わない人に分けている様子がうかがえ、また、教育長ご本人も、自分を罷免要求するような人とは会わないというようなニュアンスの発言をされているのを直接・間接に聞いているからです。

 

■国旗・国歌や管理運営ばかりに執着せず、子どもたちにとって何が最善なのかを丁寧に議論してください。

 教育長をはじめとして、教育委員会は私たちを予断と偏見を持って見ていらっしゃるようです。私たちは「とにかく粗探しをして教育委員会を攻撃してやろう」というような意図を持って、あるいは「日の丸・君が代」に反対という理由のみで、要望書などを出しているのではありません。「日の丸・君が代」のことで、大切なことが置き去りになってはいけないという思いは私たちも同じです。

 子どもたちの人権回復がなされず、「校長のリーダーシップ」の名のもとに学校現場に管理・監視体制がしかれ、子ども・保護者・教職員の参加権・意見表明権・知る権利などが次々と奪われ、否定されていく状況を、私たちは黙って見ていることができないのです。そして、このプロセスは、「日の丸・君が代」と一体となって進行しています。

 教育委員会は「日の丸・君が代」に反対する政治的な人たちというような予断と偏見を持っているようですが、そもそも、保護者・市民が教育委員会に対して、いつどれだけ「日の丸・君が代」の話をしたというのでしょうか。

 国旗・国歌に執拗にこだわってきたのは、市教委と学校管理職です。そのことは、卒業式・入学式の日に、子ども達への差別発言・人権侵害を黙認・放置する一方で、教職員を締め出し「日の丸」を揚げ、教職員を監視していたことに象徴されています。

 卒・入学式に関して、市教委は膨大な量の都教委への報告書など作成しました。「卒業式の実施状況」などと称するこれらの文書の内容は、国旗・国歌に関することに終始しており、卒業式に至るまでの子ども達の取組み、あるいは多くの保護者が感動的だったという卒業式そのものの様子について、触れたことはほぼ皆無です。教育委員会の場においても、子どもたちにとって今年の卒業式・入学式がどうだったのかということを教育的観点から議論するということは、ほとんどされていないのではないかと思います。

 この間の市教委の対応を見ていると、市教委と学校管理職にとっての「卒業式」とは、「卒業を祝う会」「門出のお祝い」はおろか、「卒業証書授与式」でさえなく、「国旗掲揚式」なのではないかと思ってします。

 「日の丸・君が代」、「国旗・国歌」や管理運営などにばかりに執着せず、何が子どもたちにとっての最善なのかということを丁寧に議論してください。

 

■報告書の作成の問題など、人権の守られる学校の実現に向けて、私たちの提起を受けとめてください。

 先にも述べたように、私たちは、2小卒業式実施報告書のように、一方的な報告書によって人権侵害が起こる事態が再発することを非常に心配しています。2小卒業式実施報告書に代表されるよう、この間の報告書の作成や事実の把握の方法は、正確性や客観性を担保できるようなプロセスを全く経ずに行なわれてきています。今後、事案決定規定・職員会議細則・管理運営規定などの、校長権限を強化する動きの中で、他の問題についても、このように校長の見解だけを一方的に「事実」であるとすることが強行されていくのではないかと懸念されます。

 例えば、いじめや体罰などの問題が起こったときに、「いじめや体罰などなかった」という校長の一方的な見解だけで、子ども・保護者の声がおしつぶされてしまうということはないのか、このような学校現場で、「外国籍児童」や「障害児」の人権は守られるのか。こういった不安を持っているからこそ、具体的なケースである2小問題に私たちはこだわり続けてきました。その過程を通じて、人権の守られる学校が実現することを私たちは願っています。

 「イデオロギー」「政治的」などというレッテル貼りで逃げることなく、問題提起に正面から向かい合い、前向きに議論してください。

 

■国立の教育を包括的に否定する石原都知事の発言に抗議してください。

 私たちの陳情や要望書がこれまでの教育委員会の努力を否定し、国立の教育全体を否定するものであるというように認識なさっている委員もいらっしゃるようですが、そうではありません。国立の教育の全否定はおかしいと思うのでしたら、なぜ石原都知事の一連の発言を問題にしないのですか。特に、昨年1222日の発言については教育委員会として議論の対象とすべきと思います。(添付資料 石原発言)

 石井教育長は直接知事とお話されたようですから、ぜひ都知事との懇談について、そして石原都知事の発言について、公の場で語っていただきたいと思いますし、その責任があると思います。

 

■主観的感想ではなく、事実に基づき、丁寧に教育論をたたかわせてください。

 教育委員会で、内容についての議論がほとんどなされていないことは残念です。学校の管理運営や、教職員・組合・学校現場の問題点などになると、饒舌にお話になるのに、要望書などの指摘や委員からの重要な提起については、なぜ口をつぐんでしまうのでしょうか。私たちの指摘していることは、単に立場や見解の相違として片付けられる問題だけでなく、事実についての問題が多々含まれています。確かに、教育委員は専門家ではなく、だからこそ、市民の声を反映した教育委員会を実現できるという面があるとも考えますし、教育委員のみなさんにそんなに無理難題を要求するつもりはありません。しかし、提示された事実に基づいて議論するというのは、素人とか専門家とかそういう問題ではないのではないでしょうか。主観的な感想を述べてるだけではなく、ぜひ事実に基づいて丁寧に教育について語り合って下さい。

 なお、前回の教育委員会でも議論になりましたように、「正常化」という言葉は歴史的経緯も考えると非常に危うげな言葉だと私たちも考えております。本会の名称の意図は、教育基本法以前に戻ろうとする方向性を持った「正常化」を願うということではありません。市教委が学校現場の管理強化・上意下達などのいわゆる「正常化」を推進しようとする一方で、市教委の責任を回避・転嫁し、自らの問題点を隠蔽しつづけていることへの批判を込めて、あえて会の名称に「正常化」という用語を用いています。今後は誤解のないよう<正常化>と表記させていただきます。

●添付資料:石原都知事発言(20001222日)

連絡先:国立市の教育委員会の<正常化>を願う市民の会


 
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