「日の丸・君が代」はいらない!
くにたち・一橋ニュース

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2000/06/29発行


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 みなさん、こんにちは。かなり間があいてしまい、ごめんなさい。入学式後の動きについてお伝えします。かなりの長文になり、読みづらいかとも思いますが、ぼちぼち読んでみてください。ホームページ(http://tokyo.cool.ne.jp/kunitachi/document.html)にこの間の日誌をまとめてあります。

 それから、保守・右派による「教育を正す掲示板」という2小問題専用ホームページができていますので、のぞいてみてください。
   →http://www69.tcup.com/cgi-localbin/6928/kyouiku.cgi
 「2ちゃんねる」BBSの「国立の卒業式の様子」スレッドでは、右派の動向や「教育を正す掲示板」についての論評も掲載されています。
   →http://2ch.server.ne.jp/2ch/test/read.cgi?bbs=sisou&key=954024795&ls=50

 『週刊金曜日』(No.321・00/06/30)に『右翼を呼び込んだ校長報告書〜東京・国立市第二小学校の「土下座」報道〜』という記事が載っています。



【1】入学式後も続く攻撃 〜国立2小をめぐって〜
(2000.6.29すみたに)


 「西の広島、東の国立」として、ターゲットにされたまち、国立。入学式から3ヶ月ちかくたった今も国立攻撃は続いている。その中心となっているのが、「土下座問題」としてセンセーショナルに取り上げられている国立第2小学校だ。国立の教育「正常化」のために、「事件化」され攻撃の的とされてしまった2小を中心に、入学式以降、国立で起こってきたことをまとめてみた。

● 子どもが自由に意見を表明できる2小の教育
 最近、産経新聞などで「偏向教育」と攻撃されている2小とはどんな学校なのだろうか。2小では、卒業式に限らず全ての行事は、子どもたちで長い時間をかけて話し合ってつくりあげていく。だから、行事や授業への取り組みはとても活発だという。

 そんな教育環境の中で、子どもたちはのびのびと成長し、自分の意見を発表する力を6年間かけて身につけていき、自由に意見を表明できる2小の雰囲気が培われてきた。
 そうやって作り上げた卒業式だからこそ、子どもたちは「僕たちの卒業式」「わたしたちの作った卒業式」「主人公は卒業生」という実感を強く持っているのだと思う。このような日常的な教育環境を踏まえた上で、卒業式当日の「事件」(とされた出来事)を見てみよう(産経新聞などがそれをどう書きたてたかは、後で触れる)。

● 卒業式の日のできごと
 卒業式当日まで、教職員は「日の丸・君が代」を実施しようとする校長・教頭と粘り強く話し合いを続けた。しかし、結局、校長は教職員を校舎から締出して、屋上に「日の丸」を揚げた。例年はなかった「日の丸」を揚げたことについて、校長は子どもたちに何の説明もしなかった。
 それに対して、「納得できない」「説明がほしい」と思った子どもたちは少なくなかった。そのうち、5、6人の子どもたちは式が終わった後、屋外にいた校長先生のところに話をしに行った。話しているうちに、やがて子どもたちは30人ほどに増えていた。いうまでもないことだが、子どもたちは集団で校長を吊し上げ糾弾しようなどという意図を持っていたのではない。
 子どもたちは「なぜ旗を揚げたのですか」「卒業式は私たち中心のもの」「ずっと旗はなしだったんだから、それを変えるときは説明してほしい」というようなことを校長に質問したという。これに対して、校長は「卒業式では国旗を揚げて、国歌を歌うことになっているんだよ」などと繰り返すだけで、なかなか子どもたちの疑問に正面から答えようとしなかった。そんな校長に、子どもたちは次第にもどかしさを感じたようだ。しかし、それでも終始、子どもたちは落ち着いて丁寧な口調で、きちんと校長との話し合いを続けた。
 「君たちに説明する必要はないと思った」などと繰り返す校長に対して、自分たちが話し合いを積み重ねて作ってきた卒業式を説明もなしに変えてしまったことについて、校長先生は謝ってほしいという声が出てきた。これに対して校長は「君たちにつらい思いをさせて、悪かった」と謝ったという。右翼が言うように、「興奮した子どもたちが校長を取り囲み、土下座を強要!!」などというのはひどい歪曲だ。
(ただし、6月中旬になって校長はこの謝罪の意味を勝手に変える。「子どもの気持ちを傷つけたことをあやまったのではなく、学習指導要領に基いて国旗を指導してこなかったことを謝った」とのことである。)

 その場には、何人かの親や教職員もいたが、基本的には子どもと校長とのやり取りを見守っているだけだった。整然と話を進める子ども、自分の思いを述べる子ども、周りで相槌を打つ子ども。それぞれが自分の言葉で意見を話すことのできる子どもに成長していることに、親たちは気づき感銘を受けたようだ。だから、教員が「日の丸」反対の思想を子どもたちに吹き込んで扇動して、子どもたちがそれに従って校長に感情的に詰寄ったなどという単純な図式ではなかったのだ。

● 「土下座要求」という「事件」にされて…
 この「事件」でもなんでもない出来事が、「校長に土下座を要求」という事件へと仕立て上げられていった。3月29日、国立市教育委員会で2小の校長がこの件について教育委員会に報告書を提出していることが明らかになった。そして、この報告書が公開される6日前の4月5日、産経新聞が「校長に土下座要求」との刺激的な見出しで報じた。

【引用】
 ある教員が「子供に相談しないで国旗を揚げたのは民主主義に反する」と話すと、児童たちは次々と「基本的人権や憲法に反する」「多数決で決めるのが民主主義」などと校長を非難した。さらに、この教員が「子供たちは自分たちの作り上げてきた卒業式を勝手に変更したことを怒っている」と言うと、児童は興奮し、涙ながらに「謝れ」「土下座しろ」などと校長に謝罪を求めた。校長は「つらい思いをさせて悪かった」などと謝ったという。
【引用ここまで】
産経新聞

 このように事実が歪められ、教員が扇動して興奮した子どもたちが校長に詰め寄ったという構図に描かれている。この記事の内容と表現は2小校長の報告書と酷似している。この時点で報告書を見ることができたのは、市教委・教育委員・議員だけだ。いったい誰が産経に情報を流したのか、疑惑はいまだに解明されていない。

● 即座に始まった第2小学校への攻撃
 2小への攻撃は翌日、始業式・入学式の日からすぐに始まった。愛国党がやってきて、校歌のときに大音量で「君が代」を歌い、下校する子どもたちに「土下座と言ったのはだれ」「あなたは日本人でしょ、日本人なら、日の丸・君が代を愛しなさい」「韓国・朝鮮人は出て行け」など、様々な国籍・民族の子どもたちに露骨な差別・排外主義の言葉を投げかけた(「警備」や「状況の把握」のために来た警察・市教委は黙認)。学校には、電話・ファックス・手紙による、いやがらせ・抗議も多く来るようになった。
 そうして、産経の記事に載った「土下座要求事件」は次第に既成事実とされていった。2小の卒業生の通う第2中学校では、あのとき校長を囲んだのは誰か」などと、学校帰りに聞かれた生徒もいるという。

● 問題の2小校長による報告書
 2小校長の報告書が、情報開示請求した市民に公開されたのは、産経新聞報道の6日後の4月11日だった。以下、この報告書について見てみよう。
 「平成11年度卒業式実施報告書」と題するこの文書では、教員の個人名もあげて、卒業式までの国旗・国歌をめぐる経過が報告されている。特に問題なのが、卒業式後の校長と子どもたちとのやり取りが、会話形式で詳細に書かれている部分である。いうまでもなく、そのときのやり取りを校長はテープに録音していたわけではなく、校長の記憶と主観をもとに再構成されたものである。それが、あたかもこの会話が全て正確な事実であるかのように記載されている。
 個人名は書かれていないとはいえ、学校での子どもたちの発言がこのような形で報告書に書かれること自体が問題である。こんなことが許されるのなら、学校で子どもたちがのびのびと意見を表明することができなくなる。
 さらに、報告書に記載された子どもたちの発言の中には、プライベートな発言や、個人が特定でできてしまう発言までも含まれている。これはプライバシーの侵害であるだけでなく、子どもを右翼の脅迫などの危険にさらすことでもある。
 ようやく、この報告書が非開示になったのは5月末のことだ。それまで、この報告書は全国に垂れ流され、街宣車・脅迫状が来る事態にまで発展した。校長・市教委や、情報公開担当の情報管理課は、子どもの人権について、いったいどう考えているのだろうか?。

● 執拗に続く産経報道
 4月5日の「土下座要求」報道以降、産経新聞の報道は執拗だ。6月末までに、国立市に関して30回以上の記事を出している。(→http://tokyo.cool.ne.jp/kunitatchi/media.html)しかも、ほとんどが全 国版で、社説でも3回取り上げており、5月末には5日連続で一面トップのキャンペーンをはった。キャンペーン初日には、国立ほかいくつかの駅で山積みになった朝刊を早朝に配布していたそうだ。また、産経の購読を勧めるPR版(表面全面をつかって国立2小の問題)がつくられ、国立市や近隣市内で各戸配布されている。産経新聞社の月刊誌『正論』も国立攻撃を続けている。
 このように、産経新聞は全国に向けて執拗に情報を流しつづけている、一方、他のメディアの動きは鈍く、ほとんどが地方版どまりである。一方的なキャンペーンに対して、2小の当事者は「本当はこんなじゃなかったのに」と思いながらも、何一つ有効な反論ができないまま、2小報告書・産経報道が事実とされ、一人歩きしてしまっているのだ。

● 続く人権侵害 〜60台以上の街宣車、脅迫状〜
 そして報告書と産経報道は、さらなる人権侵害を呼び起こしていった。
 4月8日には、授業中に街宣車が大音量で「君が代」を流し、授業を妨害した。
 4月26日には60台の街宣車がやってきた。(すでに、前日から「明日はおもしろいことが起こる」などと、脅迫電話が来ていた。)彼らはすさまじい大音量で、「国立市は教育正常化に立ちあがれ!!」「共産主義に屈服した2小澤幡校長は辞職せよ!!」「学習指導要領を遵守しない教師は即刻処分せよ!!」などと連呼し、市内を街宣した。このときには、「いまだかつて児童らが自ら国旗・国歌反対の政治闘争に立ち上がったことは皆無」「子どもたちが校長に土下座を強要」などと表現はさらにエスカレートし、「赤いハチマキをつけた児童が校長室に乱入し辞職要求」などという全く事実無根のことまで言われていた。こうやって、誤った情報が垂れ流され、子どもたちに対して、ひどい誹謗中傷がされた。事前に街宣車60台がやってくるということが分かっていたため、2小ではこの日、午後は休校にして地区の親が迎えに来て一 斉下校するという対応を取らなければならなかった。

街宣車  街宣車  街宣車

 そして、5月22日には「コドモヲユウカイシテコロス」と書かれた脅迫状が来た。(この件については警察が捜査を進めており、現時点で子供が誘拐されたという事件にはなっていない。)

● 親の不安と、子どもの人権を守らない市教委
 街宣車や脅迫状は、子どもや親たちに大きな不安を与えた。子どもたちが学校の帰りに危険な目に遭う可能性もある。しかしながら、毎日子どもの帰りが心配だという親の切実な思いは、市教委や校長にはまるで伝わらない。
 2小のことが、このように「事件化」してしまった大きな原因は校長の報告書にある。この報告書が情報公開され、報告書を「事実」としたうえで、さまざまな攻撃が行われている。親たちは、早い段階から、報告書の撤回・非開示などを求めてきたが、脅迫状が来るくらいの事態になって、ようやく市教委は、「犯罪の予防、人の生命、身体及び財産の保護その他公共の安全の確保」を理由として非開示にした。
 しかし、報告書の内容そのものが誤りだとは全く認めていない。6月20日、市教委は教育委員会定例会の場で2小卒業式についての「中間報告」なるものを読み上げた。その「中間報告」は、保護者たちが<校長の報告書は事実と違う、これが私たちの見た事実だ>という意図で出した文書を恣意的に引用して、校長の報告書を正当化するものだった。市教委は保護者の確認を得ずに恣意的に文書を利用したばかりか、それを都教育庁に提出した。そのことについて、市教委は保護者に知らせてさえいない。そして、「調査中」だからとして、内容を見せることも拒んでいる。(産経報道に寄れば、「中間報告」を受けて、都教育庁は、教員への「聞き取り調査(=取り調べ)」などを行い、処分に向けた詰めの作業を行っているという)

● 右派の子ども観
 さて、産経新聞などによって、「正常化」キャンペーンが続けられているが、そこに表れている「子ども観」について、ここで見てみよう。
 簡単にまとめると、<子どもは純真無垢なものであり、自分で考える意思も能力も持っておらず、主体的に意見を表明することなどありえない。まして、目上の人に子どもが意見を言うことなど認められない。>ということになるのだろう。
 それは、以下のような文章によく表れている。

(土下座を要求する児童たちを育てた)「教師たちは自らの『作品』のできにさぞかし満足したことだろう」(『正論』6月号)

「学校では、教員は校長の指示に従い、児童生徒は先生の言うことを聞くというのが当然の常識」(00/05/05『産経』社説)

「十歳ちょっとの子供たちに、卒業式のやり方を決める権利など与えられてはいない。」 (00/04/13『産経』社説)

「何も知らない幼稚な頭で自分が反対するものは行われるべきでないとダダをこね、自分が担任教師に迎合して、その主張に盲従していることにさえ気付かない子供たち」(00/05/26『産経』 佐藤欣子「正論」)

 このような子ども観に基づく教育で、子どもが生き生きと育つとはとても思えない。ここでは、子どもが作り上げる卒業式が真っ向から否定されている。子どもは、感情のないロボットのような存在ではなく、いろいろなことに疑問を抱くのは当然のことだ。小学校6年生くらいになれば、自分の意見をはっきり持った子どももいる。「子どもとはこうだ」と全ての子どもたちを画一的・一面的にとらえることなど、そもそも不可能だ。いろいろな子どもたちがおり、それぞれの子どもに応じて、大人が耳を傾けていく姿勢を持たなければならない。校長にも市教委にもそのような姿勢が決定的に欠けている。

● 子どもの権利条約の視点から
 このような「子ども観」は、日本も批准している子どもの権利条約に真っ向から反するものだ。子どもの権利条約では、子どもを権利の主体として認めている。そして 、12条で「意見を表明する権利」を保障しており、この12条は、子どもの参加権としても位置付けられている。
 今回の2小での校長と子どもとのやり取りについて考えるには、98年国連子どもの権利委員会でのカープ議長の次の発言が参考になるだろう。「子どもの意見を聴くということはその意見を本当に考慮に入れるということであり(中略)子どもの考え方が受け入れられなかった場合、(中略)子どもに対し、その意見が受け入れられなか った理由を説明するのが義務」である。
 つまり、「学習指導要領に基いて国旗を掲揚したのだから、校長は子どもたちに説明する必要も、謝る必要もなかった」という市教委などの立場は、子どもの権利条約に全くそぐわないものだ。
 日本社会において、子どもの意見の尊重、子どもの参加権の原則が守られていないことについては、国連子どもの権利委員会による勧告の中でも指摘されている。
 そのような社会状況の中にあっても、2小では子どもの意見表明権を尊重する取り組みが積み重ねられてきた。それが、なぜ「偏向教育」とされるのだろうか。現在、2小に関して起こっていることは、明らかに子どもの意見表明権を侵害するものである。このように学校での子どもの発言が全国的に報道され、非難されるようなことがあっては、子どもたちは安心して意見を述べ、議論して、考えるという姿勢を身につけていくことができない。子どもの意見表明が攻撃対象となっている現状を放置しては、「こんなに悪口を言われているし、意見を言ったことは間違ったことだったんだ」と、子どもがこのまま思わされてしまうだろう。これは、子どもの教育にとって重大な問題になると思う。

● 「処分」への政治的圧力
 そして、子どもの意見表明権を回復するためには、子どもの発言を原因として、教員が処分されるようなことがあってはならない。しかし、処分を求める圧力は非常に強いものがある。
 4月19日には衆議院文教委員会で自民党の平沢勝栄が、持ち時間30分まるまる使って、「教師たちが子どもを扇動している」「常識はずれの異常な教育が行われている」「迅速に厳重な処分を」などと、中曽根に迫った。5月30日には、自民党の中で、 この問題への対応が協議されている。このような動きを受けて、都教委も処分に向けて「調査」を続けている。
 6月の市議会でも、2小の問題が取り上げられ、自民・公明の議員が処分・組合攻撃の質問をしている。

● 教員への聞き取り調査と処分
 処分へつながりそうな動きとして、市教委による「聞き取り調査」が行われている。(最近、都教育庁の調査も始まった。)これは当日の事実を把握するためという名目での2小教員に対する事情聴取であるが、この調査の内容には、思想チェックでもいうべき内容が含まれている。「ピースリボンをつけていたか」「前日の職員会議でどんな発言を何回したか」「学習指導要領の法的拘束力についてどう考えるか」などの質問に、都教委や校長の立会いのもとで、答えさせている。法的にみても、2小の卒業式の日のできごとはなんら問題がないはずだ。しかし、いったい教職員のどの行為を対象として、どのような法律的根拠で「処分」ができるのか、よく分からない。しかし、これだけの政治的圧力がある以上、教員が処分される危険性はかなり高いだろう。

● 子どもの権利が尊重される環境づくりを
 この間の出来事を通じて感じたことの一つが、子どもの権利が尊重される環境づくりの大切さだ。市教委は子どもを守ってくれないし、国立市には子どもの権利を守る仕組みがない。今後、国立市でも、子どもの権利条約の理念が具体的に生かされるように、子どもの権利条例や子どもオンブズパーソン制度などを整備していくことが必要だろう。
 そして、2小の教育を特別視するのではなく、子どもの権利条約のような理念に沿って、子どもの権利が尊重される学校を、もっと広げていけたらと思う。

● 「教育改革」はどこに向かう?
 それと、もうひとつ感じているのが「教育改革」の危うさだ。最近、いろんなところで「教育改革」がブームとなっている。国立でも「子ども総合計画」という教育改革が進められようとしている。卒業式・入学式を巡って、ここ数ヶ月、国立で起こってきたことは、この「教育改革」の方向性に非常に強い疑念を抱かせるものだ。
 学級崩壊・少年犯罪・不登校・受験競争などの社会問題を解決するためなどと称して、進められている「教育改革」のキーワードは「校長のリーダーシップ」と「開かれた学校」だ。この一見、耳障りのいい言葉の本質は何なのか。

「開かれた学校」……産経新聞・都教委・文部省・自民党・右翼に情報がどんどん流され、「正常化」という名の政治的介入がおこなわれること。
「校長のリーダーシップ」……学習指導要領に基づいて学校を「経営」していおり、「目上の人」である校長に対して、子どもは疑問も意見も表明してはいけない。職員会議は補助機関であり、教育公務員として上司である校長の命令には従う義務があるから、教職員も意見を表明してはいけない。子どもの人権を尊重した対応をしてほしいという保護者の声には耳を傾けない。このように、当事者の参加を排除すること。

 ここに事例をひとつひとつあげる余裕はないが、この間のできごとを見ていると、このように考えざるを得ない。
 そして、このような流れは、制度的にも裏付けを持ってきている。東京都では人事考課制度が導入されているし、改正された国立市学校管理運営規則には「校長は、校務運営上必要と認めるときは、校長がつかさどる校務を補助させるため、職員会議を置くことができる」と明記されている。こうやって、どんどん教職員が意見を言いにくい環境がつくられている。そして、より文部省・都教委の意向が反映しやすい「開かれた学校」がつくられている。
 いまの国立への「正常化」攻撃は、このような「教育改革」とは決して無関係ではない。東京都の「心の東京革命」、そして国立市の「子ども総合計画」。これらの「 教育改革」が何を目指し、学校現場をどのように変質させるのか。「開かれた学校」という耳障りのいい言葉に安易に回収されず、しっかり見極めていくことが大切だ。



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